もうちょっと鉄筋を前に動かして。はい、ストップ―――島根県出雲市内で施工が行われた湖陵多伎PC上部工事(発注者:国土交通省中国地方整備局)の現場では、大きなサングラスのような機器を身に付けた職人が鉄筋の位置を指示していた。しかし、不思議なことにメジャーテープなどは使っていない。
サングラスのような機器はAR(拡張現実)技術を現場で使うために開発された「HoloLens(ホロレンズ)」と呼ばれる機器だった。両目にそれぞれ超小型のモニターが内蔵されていおり、職人はモニターに映し出される配筋のCIMモデルと、鉄筋を重ね合わせるようにして、鉄筋を配置する位置を決めていたのだ。
配筋などのCIMモデルデータを、HoloLensで見られるように変換する作業には、インフォマティクスの「GyroEye Holo」というソフトを使用した。
「施工用に作成した橋梁のCIMモデルをHoloLensに入力し、墨出しのマーキングを行わずに配筋する作業の試行をしています。近い将来、このようなARデバイスが橋梁建設現場で当たり前のように利用される日が来るのかもね」と、試行した現場作業員は笑顔で語る。
これまでの配筋作業は、図面とメジャーテープなどを使って鉄筋の位置を割り出し、型枠にフエルトペンでマーキングすることが必要だった。ARデバイスを使うと、こうした中間工程を省き、現場でCIMモデルに鉄筋を合わせるだけでいいので、作業は大幅にスピードアップする。
コンクリート打設後には、排水設備や検査路などを支えるアンカーを打ち込む作業を行う。ARデバイスを使うと、図面や打音調査を使うことなくコンクリート内にある配筋を“透視”できるので、内部の鉄筋を傷つけずに、安心してスピーディーにアンカーを施工できるのだ。
発注者側にも行う配筋の出来形検査も大きく様変わりしそうだ。ARデバイスを通して現場と配筋のCIMモデルを見比べるだけで、鉄筋が設計通りに配筋されているかどうかが一目でわかる。そのため、発注者自身が配筋の全数検査を行うことも可能になる。
「この現場では、試験的にARデバイスを通して見た映像を、インターネット回線で現場事務所にリアルタイム中継し、発注者側の監督員に見てもらう実験も行いました。将来的には発注者の事務所に中継することも可能になりそうです」とGyroEye Holoを開発するインフォマティクス営業部リーダーの金野幸治氏は語る。
すると監督員は事務所にいながら、出来形検査を遠隔で行える。一人で多数の工事現場を担当する監督員にとって、移動時間を短く、検査時間を長くとれることは発注者側にとっても生産性向上や品質管理の高度化につながるだろう。
ARを使った配筋作業や出来形管理を行えたのも、現場での作業が始まる前に橋を構成する部材や形、寸法をコンピューター内で忠実に再現したCIMモデルを構築し、橋の完成形状や施工手順をバーチャルにシミュレーションしていたからだった。
CIMモデルの作成は、コンソーシアムに参加したオフィスケイワンが担当した。同社が開発した「Cick3D」というツールを使って橋の2次元図面から3次元モデルを立ち上げ、3次元CADソフト「AutoCAD」で扱えるCIMモデルを構築した。
このモデルに排水設備や点検用の通路、はしごなどの付属物を3Dで入力し、「Navisworks」という3Dモデル統合ソフトで、部材同士がぶつかる干渉部分を探しては修正し、コンピューター上で干渉部分がない完成形状に仕上げていった。
オフィスケイワン代表取締役の保田敬一氏は「実際にこの現場に来てみて、施工者や職人さんならではのニーズが多くあることに気付きました。これまでは事務所で3Dモデルを作る作業が多かったので、いい収穫でした」と言う。
このCIMモデルを「Infraworks」というソフトで地形を作成し、橋や工事で使用するクレーンなどの3Dパーツを読み込んだ。そして3Dモデルを施工スケジュールと連動させた4Dモデルで、クレーンや架設桁などの動きや各工種の施工状況をシミュレーションし、施工計画を行った。さらに、構造物の出来上がり形状を視覚化させた。
その動画は、協力会社の職長との会議、各作業前の手順打合せ会にも活用し、施工手順や安全対策などの情報共有にも役立てた。
今回の工事では、CIMモデルデータと測量機も連携させ、施工管理の生産性向上と品質管理の高度化にも取り組んだ。その一つが床版コンクリート打設作業のリアルタイム管理だ。
床版には鉄筋が上下2段で密に配置されているため、コンクリート打設時には空洞ができないように入念に締め固める必要がある。同時に床版のすべての部分でコンクリートの打ち継ぎは一定時間内に行い、「コールドジョイント」と呼ばれる不連続面ができないようにする必要がある。
しっかりした品質のコンクリート打設を、限られた時間内に行うため、橋面全体を見渡せる丘の上に自動追尾型のトータルステーションを配置した。そして1径間の床版を15ブロックに分けて生コンクリートの床版高と位置、時間を自動計測しながら記録していった。
その結果は、施工管理技術者が持つタブレット端末に送られ、コンクリート打設作業中には床版各部の作業進捗と打ち重ね時間をリアルタイムに管理したのだ。
この作業には、千代田測器が開発した「コンクリートナビ」というシステムを使った。
そして打設中から打設終了時までCIMモデルの仕上げ面と、実際の打設面を比較しながら、設計品質を満足させる高さになるように仕上げを指示した。
コンクリート打設が完了後に、床版の形や寸法が設計通りかどうかを確かめる出来形検査でも、CIMモデルの座標データを活用したタブレット端末ソフト「BIM360」と、一人で測量が行える「LN-100」という測量機を使って計測していった。
床版上に構築される壁高欄や中央分離帯の型枠でも、同様の方法で一人だけで墨出し作業を行った。
これらの測量結果は、オフィスケイワンが開発した「出来形コンター」というソフトで、設計値からの誤差を3Dモデル上に色分け表示し、橋面全体が許容値内に仕上がっていることを一目でわかるように整理した。
今回のシステムを提案した千代田測器ソリューション営業部次長の平原幸男氏は「橋桁上のコンクリート打設では、あらかじめ桁を上げておくキャンバーや打設中のたわみも考慮する必要があります。コンクリート床版高や厚さをリアルタイムに一目で管理できるよう、CIMモデルと測量機器の連携できるよう工夫しました」と説明する。
施工に使ったCIMモデルは、オフィスケイワンが開発する「CIM-PDF」で完成時の形状や属性情報をインプットし、様々な施工記録や帳票をひも付けて発注者に納品する。そして運用や維持管理にも役立てられることになる。
この工事は、国土交通省が内閣府の「官民研究開発投資拡大プログラム」(略称:PRISM)を活用し実施する「建設現場の生産性を飛躍的に向上するための革新的技術の導入・活用に関するプロジェクト」の対象工事として採択された。
施工を担当するIHIインフラ建設は、IHI、オフィスケイワン、千代田測器の3社とともにコンソーシアム(企業連合)を組み、「飛躍的な生産性向上」と「品質管理の高度化」という2つの課題を両立できた。現場はまさに、異業種の企業が連携して技術革新を進める“オープンイノベーション”の場となっている。
「今回のプロジェクト対象は橋長76mの3径間PC橋という標準的な規模でした。この規模の橋梁建設は数多く行われています。今回のプロジェクトでCIMとAR、測量を連携させることによって得られた成果は、他の橋梁建設にも役立ててもらえそうです」とIHIインフラ建設開発部長の中村定明氏はプロジェクトを振り返った。